松元卓巳さんインタビュー

松元 卓巳
お話をうかがった方
松元 卓巳 さん

1989年、福岡県宇美町出身。デフサッカー日本代表GK・主将で、2025年デフリンピック東京大会では銀メダル獲得に貢献した。先天性難聴を抱えながら鹿児島実業高等学校でプレーし、高校2年で日本代表入り。2023年デフサッカーW杯では日本初の準優勝を支え、優秀GK賞を受賞。あいおいニッセイ同和損害保険(株)所属。

「東京2025デフリンピック」のデフサッカー男子で銀メダルを獲得した日本代表・主将の松元卓巳選手。生まれつき重度の難聴で、補聴器をつけても音はほとんど聞こえませんが、相手の口の動きを読み取ることで、「聞こえる人たち」の世界に馴染んで生活してきました。
一方で、高校2年から始めたデフサッカーではコミュニケーションが手話中心のため、「聞こえない人たち」の世界でのコミュニケーションに壁を感じ、葛藤した時期もあったそうです。
両方の世界に身を置いて見えてきた、スポーツが切り開く共生社会の可能性とは。デフスポーツへの思いを交えて伺いました。

たくさんの声援に感謝。「このままじゃ終われない!」

「東京2025デフリンピック」で、デフサッカー日本代表は男女ともに銀メダルを獲得しました。おめでとうございます。松元選手はキャプテン、代表旗手として重責も果たされましたが、半年が経った今のお気持ちを聞かせてください。

「やり切ったな」という気持ちと、金メダルへの未練、半々です。決勝で強豪トルコに2対1で惨敗して、個人的には未だに気持ちの整理がついていません。
今回初めて、自分たちの名前が入った「SAMURAI BLUE」のユニフォームを着てピッチに立てたことも大きな誇りで気迫につながっていましたし、実力的にも「世界一、いけた!」と振り返ってしまいます。

でも、その悔しさよりも、試合会場の福島や全国のサポーターの皆さん、家族から受け取った温かい声援や「サインエール」が心に残っています。多いときには4600人もの方々が、寒い中、応援してくださいました。本当にありがとうございました!

この盛り上がりを一過性にしないために、デフリンピック後に、仲間とデフアスリートの選手会を立ち上げました。始動したばかりですが、現場の声をろうあ連盟などに届けながら、たくさんの人にデフスポーツの魅力を知ってもらえるよう発信をしていきたいです。

マルチスポーツに触れる機会を子どもたちに

私は先天性難聴ですが、幼稚園から大学まで支援学校ではなく、補聴器を付けながら通常の学校に通いました。家庭でも、学校でも基本的には口話のみで手話を使う機会は全くありませんでした。
子どもの頃はもう少し聞こえていたかもしれませんが、今は100デシベル(電車が通るガード下の騒音に相当)の聴力です。複数人いると、ほとんど音は拾えません。

そんな中で、サッカーは、小学3年から始めました。球技が好きでソフトボール、バレーボールも地域のみんなとやっていて、相撲も経験しました。
子どもにとって、マルチスポーツに触れる機会は大切だと、実体験から感じます。
いろいろとやる中で、音がなくても私にはうまくできて、楽しいと思えて、とにかく蹴るのに夢中でサッカーを選んだんです。とはいえ、今はキーパーで守り専門ですが(笑)。
特性の有無に関係なく、マルチスポーツの経験は、その子の持つ能力の可能性を広げてくれます。

当協会の「fun sport nexus」プロジェクトでも、マルチスポーツを楽しむ場を提供しています。大人にとっても、今の自分に向いているスポーツを見つけられるかもしれません。

夢は「一番いいタイミングでかなう意味がある」と信じて

中学まで聞こえる人と同じ条件で試合に出場し結果も出していたので、高校では全国大会に出てみたいという目標ができ、一般受験で鹿児島実業高校に入りました。
サッカー部では一番下からのスタートでしたけど、くらいついて、周りと同じようにプロを目指していました。いつかは日本代表も夢見て。でも、高校2年で、自分の特性では難しいと力の差を感じ始めました。

デフサッカーとの出会いは、ちょうどその頃で、本当に偶然です。当時、私は坊主頭で、補聴器姿が目立っていました。サッカー部のジャージを着てスーパーに買い物に行った際、たまたまその場にいたデフサッカーの協会関係者の方の目にとまり、ご縁が重なって、すぐに日本代表に加わることができたんです。

デフサッカーでは、自分の力が思うように発揮できましたか?

いえ、全然。当時は手話ができなかったので、それがマイナスに働いてしまいました。
当然のように代表選手はみんな、手話でコミュニケーションを取るんですね。試合中も自分だけ何を言っているのか分からないですし、信頼関係も築けない。
大きな壁でしたね。
同じ特性を持つ仲間がいるという安心もあるのに、一方で、手話を必要としない人たちのコミュニティにも完全には属しきれない不安がつきまとう。「自分は何者なんだろう」と葛藤があり、自信を無くした時期もありました。

でも、時間をかけて、いろいろな人とかかわる中で、自分が少しずつ変わっていきました。
大きな転機は、2007年、大学1年で参加した初の国際大会での監督との対話です。
キーパーとして結果を出しているのに試合に出してもらえない不満を周囲にぶつけてしまった際、監督が2人で話す時間をくださいました。
「実力は認める。でも、仲間とのコミュケーションが全然足りていない。キーパーは最後の砦。そこを任せられる人でないと、チームは成り立たないよ。信頼関係を築いて、チームを強くして引っ張っていく存在になってほしい」と、丁寧に伝えてくださった監督の言葉に、すーっと、気持ちが切り替わりました。

私は手話がなくても、それまで普通に日常生活もスポーツもこなしてきた。でも、今、手話が必要なら、ちゃんと覚えようと、本気でデフサッカーに向き合う決意を固めました。
そこから、手話の本を片手にチームメイトに話しかけました。指文字の向きが逆で「わかんないよ」と笑われたこともありますが、気持ちは伝わっていたようです。少しずつ周りとの距離が縮まり、今ではキャプテンとして試合に出場できています。

うまくいかない状況を乗り越えて、目標や夢がかなったんですね。

夢がかなうタイミングには、意味がある。うまくいかないときは「今が、ベストじゃないんだ」と、自分に言い聞かせています。
だから、世界一の夢も、今回のデフリンピックじゃなかったんだって、思うようにします(笑)。そう考えると、頑張り続けられますね!

デフスポーツには「できない」を「できる」に変えてくれるチャンスがある

デフと通常のルールは基本同じで、FIFAの国際ルールに基づいて運用されています。視覚情報で合図をするというのが、通常との大きな違いです。デフサッカーは、会場入りから補聴器の装用は認められていません。審判の笛が聞こえないので、審判は笛と旗を持ちます。

面白いのは、競技分野に限らず、デフの環境でやってみると「意外とできる」という人がいることです。
私も、デフスポーツは「できない」を「できる」に変えてくれると感じます。
音に頼らない分、視覚をしっかり使うようになりますし、直感も研ぎ澄まされるんです。

完全な無音で参加するのは難しいかもしれませんが、音に頼らない環境でやってみることで、新しい気づきがあると思います。
状況判断の早さは、どのスポーツでも大切なので、良い経験になるのではないでしょうか。

特性の有無にかかわらず一緒にプレーする機会もどんどん増やしていけるといいですね。

社会人リーグの公式戦で、私一人だけが審判の笛が聞こえずプレーを続けてしまい、イエローカードを出されたことがありました。そのとき、チームのキャプテンが「彼は聞こえなかったんだ」と審判に説明してくれて、カードが無効になったんです。
私はそれまで「聞こえていないからこうしてほしい」と自分から要求をしたことがありませんでした。でも、キャプテンが、仲間として守ってくれたんだと、チームスポーツの良さを実感した瞬間で忘れられません。

私自身は難聴の特性を個性として捉えていて、チームスポーツは個性の集まりだと思っています。特性の有無を越えて、一緒に楽しめるはずです。

「そうでない人」と共生しながらデフスポーツは進化していくべき

デフサッカーの現状をどう感じていますか?

競技人口は200〜300人くらいで、チームも主要都市にしかありません。デフリンピックをきっかけに注目は集まりましたが、継続して、発展させるにはどうするか。

大事にしていることは2つ。
1つは世界の舞台で勝ち、結果を出し続けることです。注目も集まりますし、サポーターも増えると信じています。
もう1つは認知度の向上です。
私は講演会など、デフスポーツの魅力を発信できる場に積極的に出向いています。子どもたち向けの体験授業は、特別支援学校ではなく、むしろ通常の学校で、特性のある人も世界でプレーできていることを知ってもらえるように努めています。
耳の聞こえない、聞こえにくい人向けのデフサッカースクールに注力してくれている仲間もいます。
実は「隠れデフスポーツ人」は、結構いると思うんです。そういう人たちに身構えず、楽しんで挑戦してもらえるきっかけの場の必要性を感じます。
ちょっと恥ずかしいですけど、ファンミーティングもやってみたいです。デフアスリートを身近に感じてもらえるよう、自分たちが前に出ていかないといけませんよね。
特性のある自分たちと「そうでない人たち」が一緒に、デフスポーツを盛り上げていくべきだと強く感じます。

最後に、今後の目標を教えてください。

まずは2027年W杯、その先のデフリンピックで世界一になることです。

そのために、選手が安心して競技に集中できる環境を整えていくことも課題です。
代表に選ばれても金銭面や仕事の都合で、海外遠征への参加が難しい選手もいます。
2023年の大会から自己負担はなくなりましたが十分に整ったとは言えず、後継者が育たないのではと危惧しています。

私は、仕事でもサッカーでも、仲間として認めて貰えていると感じる今の会社環境に本当に感謝しています。
実は料理が趣味で、鉄鍋を買ってチャーハンがパラパラになる仕上がりを楽しむほどはまっていますし、いつも応援してくれる妻にバースデーディナーを振る舞ったこともあります。
でも、これは当たり前の日常ではありません。会社のアスリート雇用への深い理解と周囲の皆さんの協力があるからこそだと実感しています。

子どもたちの将来の夢に「デフスポーツ選手」や「デフスポーツにかかわる仕事」が自然になる共生社会を願っています。

次こそ世界一!

当協会も、スポーツを通じた共生社会に向けた松元選手の挑戦を応援していきたいと思います。
誰もが楽しめるスポーツ環境を共に目指していきましょう。

貴重なお話をありがとうございました。

画像提供:あいおいニッセイ同和損保(株)