永井明慶さんインタビュー

永井 明慶(ながい あきよし)
お話をうかがった方
永井 明慶(ながい あきよし) さん

1982年生まれ。小学4年生から本格的に相撲を始め、インターハイや全日本ジュニア、世界ジュニアの各相撲選手権大会において団体・個人で優勝の実績を残す。指導者に転身後は、出身地柏市で柏相撲少年団を率い、中学生らの育成支援、部活動の地域展開に挑戦し続けている。柏市相撲連盟理事長、(一社)柏スポーツ文化推進協会代表理事。

“柏の相撲”をご存じでしょうか?市営の土俵から力士を多数輩出し、「柏は第二の故郷」と語る横綱・豊昇龍の誕生や柏場所巡業でもにぎわう、相撲に熱い街、柏。今回のゲストは、自身も“柏の相撲”で育ち、長年、指導者の傍ら、自宅で横綱を夢見る中学生らとの共同生活を仕切る永井明慶さん。競技者の育成や部活動の地域展開につながるヒントをスポーツ安全協会会長 布村幸彦が伺いました。

  • 柏相撲少年団

強くなるために自分で考え、動ける自主性を育てるための“強弱”

柏相撲少年団から複数の幕内力士を輩出し“柏の相撲”人気に貢献し続けていますね。高校教諭時代の教え子横綱・豊昇龍もその1人ですが。

豊昇龍関との出会いは、私が柏日体高校(現・日体大柏高)で指導していたときです。彼は、2015年にレスリングの留学生として来日したんですけど、2か月後の大相撲5月場所で座布団が舞う大一番に感銘を受けて「横綱になりたい!」と、翻訳アプリを片手に私に懇願してきたんです。あまりの熱意に根負けして、レスリング部と調整をしまして…相撲部に(笑)。言葉の壁はありましたけど、彼には横綱になる夢がしっかりあったので、何をすれば強くなれるのかを研究して、まい進する力がすごかったですね。
相撲は選手側に自主性がなければ、選手と指導者がどんどん離れる競技なんですね。試合中、監督が横にいて声が届くわけではない。試合当日は招集場所に30分くらい拘束された後、ひとり、土俵に向かうんです。その間、自分で考える力がないとボーっとして終わっちゃう。だから、私は自主性を育てていけるよう“強弱”をつけて指導しています。

以前、益子直美さんとの対談で“怒ってはいけない”指導に触れたんですが、“強弱”をつけた指導とは?
ぶつかり稽古

私も感情に任せて怒る指導はあってはいけないと思うし、今の時代、温かく見守らないと親御さんも預けてくれないですよね。ただ、相撲は大きなケガにつながりやすいスポーツです。安全を管理する上では強く注意することも必要で、大切にしているのは“強弱”です。とっさに大声で指導した後、必ず選手に伝えたいことをかみ砕いて説明します。

相手が「よくわからないけど、監督に怒られたくないから次からちゃんとする。」ようでは意味がない。まぁ、私も学生時代そういうタイプだったんですが(苦笑)。

相撲は一瞬で勝負が決まりますからね。「言われてからできるようじゃ、試合だったらもう終わっているぞ!」って。ケガをしそうなときは敢えて気を引き締めるために大声を出すと、ぐっと良くなることもあります。自分で考えて動く自主性を“強弱”の幅がある指導で育てています。

子どもの立場で、すごく考えて指導されていますね。永井さんは競技者としての実績もありながら指導者の道を選ばれましたが、向いていたのでは?

大学1年生のとき網膜剥離になってしまい、復帰後も「大相撲で生きていくのか?」って自問自答に陥って。迷ったらダメなんですよね。相撲に限らず、甘くない。
でも、ケガの功名じゃないですけど、教え子が活躍してくれて豊昇龍関のような横綱まで生まれたというのは感慨深いです。力士本人の力があってこそですが、それなりの経験を積んだ親方がやっと横綱を出せるかどうかという厳しい世界です。40代の私が、彼の夢が叶うのを見届けられたのは奇跡に近い。

“ちゃんこ”の時間と、子どもの心を開く3つのステップ

プロを目指す中学生たちとご自宅で寮生活をされていますが、思い切りましたね。
永井家の食卓

柏の高校で指導していた当時も、土日は地元の子どもたちに稽古をつけていて。自分の町に土俵がないからと、市外から電車で通っている子どももいました。“お相撲さん”を志しても、土俵で毎日練習できない。力になってあげたいけど自分は高校生の指導もあるし、と悩んでいたら後任の指導者が赴任してきてくれたので、「よし、中学生の夢を叶えてあげよう!」と当時4人の寮生と妻とで6人暮らしを始めました。
妻には事後報告です…。相撲が好きなので、きっと協力してくれる、と信じて。「もう、相撲はお腹いっぱい(笑)」と言われたこともありますけど、長年、一緒にやってくれています。感謝しかないですね。
寮生も徐々に増えて今春から11人に。有難いことに支援者の方が無償で貸してくださった6LDKの二世帯住宅で、今は私の子どもたち3人も一緒に生活しています。
親御さんからも寮費はいただいていますが、寮生は育ち盛りで食費も相当です。それだけでは賄うのが難しいところを、地域企業や全国の後援者の方々にご支援いただいて成り立っています。子どもが高い志を持っても費用面で諦めないといけないのは一番かわいそうなんで、みなさんには本当に感謝しています。

親御さんの代わりに、多感な子どもたちの心のケア、しつけも大切な役割ですよね。

食卓を一緒に囲む時間を大事にしています。子どもの本質が垣間見えるのも、稽古中じゃなくて、実は食事中。礼儀やマナーを教える上でも重要です。
相撲界だけは「監督」ではなく「親方」と呼びますよね。親方と弟子が囲んで食べる鍋を「ちゃんこ鍋」と言いますが、“ちゃん”は“親”という意味で「ちゃんこ」は「親子」。今の時代“孤食”が多いけど、親子で食事をすれば互いのちょっとした変化に気付けるんじゃないですかね。
毎週土曜日の夕食は子どもたちが作ります。3,000円で買い出しもさせます。ようやく完成した料理をスマートフォンで撮影して、親に嬉しそうに送っていますよ。夕食作りも、親への感謝の気持ちが生まれる瞬間です。まさに「ごっちゃんです」。「“ごち”になります、“ちゃん”」という親への感謝ですね。

なかなか減らない不登校問題にも、糸口が見えそうなお話ですね

心を開けない子どもとの向き合い方についての講演をすることもあって、“3つの順番”を話します。
まずは「好きなものを探る」。好きなものを探る中で自然と会話が生まれます。
次に「やらせる」。
そこで本質が見えてきたら、最後は「歩み寄って一緒にやる」。
大人がそれをできない姿を見せることも大事で、子どもは盛り上がるんですよね。関係性ができたら、どんどんプラスの言葉をかけてあげると子どもは心を開いてくれるかな、って。
子どもが夢を語ったら「絶対できるよ」って言ってあげたいじゃないですか。言われた子どもは続けます。続け出したら大人は距離を置いていいから、仲間をつくってあげる。同じ志を持っている仲間がそばにいると、きつくても一緒に頑張らなくちゃ、と責任感が生まれてくる。障害にぶつかるし、結果が伴わないと不安になるでしょうけど、また背中を押してあげれば前に進むんですよね。最初から「好きなもので1位を取ろう」ではなくて、好きな気持ちと過程を大事にしてあげると、子どもの心は強くなることを指導経験から学びました。

最初のルールを崩せば、子どもたちは受け入れやすい

相撲は、まわし1枚、始めるのにも勇気がいりますよね。魅力をどうやって伝えているんですか?

私が相撲を本格的に始めたのは小学4年生のときで、今も柏で続く「わんぱく相撲」がきっかけ。でも、お尻を出すのが絶対に嫌で、当初、出場する気はなかったんですけど“若貴ブーム”で参加者が500人!まわしが足りないから、短パンの上にさらしを2周巻く特別ルールになって「なら、出る!」って。それまでアイスホッケーや水泳をやっていて体幹が鍛えられていたからか、ベスト8までどんどん勝ち進みました。ところが最後、僕より体の小さい女の子に投げられて、悔しくて悔しくて。一気に相撲への熱が高まりました。
その体験を生かして、相撲未経験の子どもには、とにかくルールを崩します。勝負をつけるルールは守らないといけないけど、始めるときのルールは崩していいと思うんですよ。私みたいに夢中になるタイミングがきて強くなったら全国大会、みんな裸。短パンを履いている方が恥ずかしくなる。
競技者の育成も以前は結果を求めてスカウトに回っていたんですけど、今は全国の本気でやりたい子どもたちが、向こうから集まってくれるようになりました。

今の自分があるのは、唯一、相撲から離れた定時制高校での教員生活があったから

競技歴も指導者歴も相撲一色ですけど、相撲から離れたことはあるんですか?

ソフトテニス部の顧問をしたことがあるんですよ(笑)。大学卒業後に静岡国体のご縁で焼津市役所に2年間お世話になった後、磐田市の公立高校の定時制で3年間教鞭をとったときに、夜間の部活動で。
野球とソフトテニスの2択で、野球は合うサイズのユニフォームがない。ソフトテニスだったら普段のジャージでできるな、と(笑)。相撲から離れたのはその数年限りですけど、とても“濃かった”。
学費を自分で稼いで学ぶ子どもたちの必死さに寄り添ったり、修学旅行に遅刻しそうな子どもがいれば前日から面倒を見たり。今思えば“寮父”になる勉強期間だった。あの生活が私の人生の経験値を上げてくれてからこそ、今の自分があるなぁ、って。

部活動の地域展開は、本腰を入れてやらないと。まず、地域のために動いてみる

2027年度以降、部活動数が少ない9競技で全国中学校体育大会が実施されなくなる。運営を担う教員の負担を減らす目的ですが、今こそ地域展開で子どもたちの活動の場を確保したいですね。

本腰を入れれば地域展開ならではの大会もできるはず。柏はサッカー、テニス、バスケットボールの柱も太いので、それぞれのノウハウを集結したら面白くなりそうです。
また、スポーツのイベントには、それに興味のある子どもしか集まりませんけど、同じ空間で時間を分けて吹奏楽の演奏も盛り込んだら「せっかく来たんだから両方楽しめればいいじゃん。」ってなりますよね。もちろん、スポーツか音楽の一方だけを楽しむ人がいてもいいんです。人が喜びを体感できる場を広げていくイメージで、子どもたちにスポーツや文化・芸術活動に触れる機会をつくってあげたいですね。

スポーツ庁や文化庁が推進する部活動の地域展開に、積極的に乗り出している地域もあります。柏相撲少年団の地域展開をここまで盛り上げきたリーダーとして、秘訣や課題はありますか?
柏市内での地域貢献活動

成功のカギは出身者やゆかりのある指導者が地元に戻ってくることですよね。私の活動が柏でここまでご支援いただけているのは、やはり出身者だからだと思います。

地域イベントにも積極的に参加していますよ。自分たちを知ってもらうためにも、お手伝いは欠かせません。
地域交流の目的は他にもあって。1つは、相撲をやっている子どもたちに「相撲以外の人と出会ってほしい」。世界を広げてほしいんです。

もう1つは、「魅力ある子どもたちの姿を地域のみなさんに見てほしい」。将来「あの子どもなら、うちの会社で採用したいな」って考えていただける機会になれば、って。“うちの子どもたち”に第二の故郷をつくってあげたいんです。でも、当の子どもたちは純粋に「厳しい稽古より楽しい!」って、イキイキ参加しています(笑)。

地域でいろいろな出会い、経験をさせて、子どもたちの将来につなげようという思いで“柏の相撲”をここまで大きくしたんですね。

“柏の相撲”は私の人生ですね。相撲部屋、力士の地位、後援会の壁を越えて柏にゆかりのある力士を応援しようと、柏市民の結束も強くなっています。
相撲の世界を選んだ子どもたちにとって、「目指すは横綱!」が叶えば一番いいんでしょうけど、相撲だけじゃなく、学校の仲間や地域のみなさんとの交流、そして“ちゃんこ”を囲んで学んだことが、人生の糧になってくれたらと願っています。

布村と永井氏
結びの一番は当協会会長 布村と固い四つ

素敵なお話を有難うございました。

スポーツ安全協会は永井さんの今後の活動、また同じような理念をもった活動が相撲界を始めスポーツ界に広がるよう、助成事業等を通じて応援して参ります。